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●皆さんはこの真理を学ぶ上でも、まあ幾転生、過去の自分というのは、まだ観えていないし、読めていないと思うけど、幾転生の中で、皆さんの思いは、神よりも、ほかの方向に向いていたと思うんですよ。
心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、魂を尽くして、「神よ、神よ、神よ」のみだったならば、皆さんはすでに手に入れていますよ。
もう、この一つ路に徹底して向かっていなければ・・・
皆さんの思いが、神に向けていると言いながらも、そのときの集中は、そこのみにやっていれば良いけれど、皆さんの思いはあちこちに飛んでいて、どうしてそれを得ることができましょうか。
おそらく皆さんは、都合いいときは「神よ、神よ」と思ったと思うんですよ。しかし、家族の者にガンの病いを背負った者が出たり、事故に遭ってみたり、さまざまな事件や事故に巻き込まれたときは、皆さんの信仰は簡単に崩れていったんです。
* * * *
皆さんと(先生)との違い。
この者は、コンマ何秒だって神を見失ったことはない。神を疑ったことはない。だからあらわれるんですよ。
「あなた方が愛し、あなた方が必要とし、あなた方が求めているものは、私という神よりも、金や富や物質ではないか。
どうして愛されていない私が、どうして求められていない私が、どうして私、必要ともされていない私が、あなた方の自由意志をおかして、あなた方に与えることは不可能」と言っていますよ。
* * * *
●良いことを教えます。
今までお母さんたちは、旦那さんのために、子どもたちのために、私が食事を作ってあげた、洗濯をしてあげた、で、掃除をしてあげた。どの私?
肉体の私ですよ。何の価値もありません。
肉体の私が食事を作ることは不可能です。
肉体の私が掃除をすることは不可能です。
肉体の私が洗濯することは不可能です。
肉体に命が宿っていればこそ、命が生かしていればこそ、我々は、すべてをこなし生きることができるんです。
だから今日からは、
「神という旦那さんのために、神としての子どもたちのために、この肉体という道具を使って、洗濯、掃除、食事を作るものは、命という内在の神である」に切り替えてみてください。
即、皆さんの人生、変わりますよ。
本質をつかまぬかぎりは、無常の人生しか終えませんよ。
どこに本質は?
皆さんの内なる神であり、内なる本質・命のみですよ。
光話より抜粋
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何のために、幾転生も幾転生も、我々は生まれては死に、死んでは生まれ、輪廻という輪廻を繰り返し、ここまで歩んできたんだろう?という、その意味をはっきりつかんでいてほしいと、私は願うんです。
もちろん我々は、本質に至るまでは、何百、何千、何万、何十何万回とチャンスは与えられますよ。
しかし、今生の我々の学びにこのように集えるのは、今回限りしかないですよ。今回限り。
何万回、何十万回の転生の中でも、今生のこの出会い、このスタッフは、今生しかないですよ。
互いにインドで共に学んだ者。あるいはどこそこで学んだ者。そういう方々が縁をもって今生このように集っています。
しかし、今生、出会った我々は・・・これはもう何十万回の輪廻の中にも、今生のみですよ。
なぜなんだろう?
いつか一人一人、この衣装は脱がねばなりません。
脱いだ時に、じゃあまた我々はこれだけの友がまたここに集いましょうは、ゼロなんですよ。ないんですよ。
なかには出会う方もあるでしょう。しかし出る時期がみんな違うんです。また同じように出るにしても、同じ場所に、この状態というのはないんです。
だからこそ、今生のこの縁を、今生のここに集いし一人一人が、今生のこの縁を大事にしてほしいと私は願うんです。
共に手を取り合って、共にいたわり、思いやり、愛分かち合って、足りないものを補い合い、良いものは分かち合い、互いに手を取り合って、世界平和建設へと進んでほしいと願うんです。
決してこの現象の世界を否定しなさいでもないし、粗末にしなさいでもありません。
どうバランスをとって我々は進んでいくか、だけなんです。
光話より抜粋
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大宇宙に遍満するすべての神よ。
今生、私の元によこしてくださったわが子たち、一人一人が神の大愛へと、一歩一段進みゆく努力をされているわが子たち。
もう少し背負っているこの宿題を、この試練を、どうか愛、見守り、できるならば和らげてほしい。
わが内なる神よ、すべてなる神よ。
どうかわが子たちをなお一層、見守れるように、この上江洲という名をもった、この伝導体をとおしてそうあるように、もっと智慧を、力を、愛を注いでもらいたい。
この欲張りは、一人も見落とすことなく一人も欠けてほしくない。一人も落ちこぼれがないことを望み、常にこのようにわが子たちを導く者であることを。
どうか今生、一人でも多く、二人でも多く、共にこの者の大愛の中に融合できるように、わが子たちにもこの愛を一層働けるように導いてほしく、歯を食いしばって、拳を握りしめて四十何年も耐えて耐えて耐え続けて、ここまで導いてこれたことにも内在の神、あなたに感謝します。
今の言葉が本当のオーバーシャドウという、神懸かりという、内在の神がこの者の口を通して語り得た言葉です。
この者は今、語った言葉、覚えておりません。何を語らされたか。
後にわが子たちからその言葉を聞いて振り返ってみたいと思います。
光話より抜粋
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子どもたちも、もうA君のこの歳までには、落ち込み、失敗、つまづいて転び、その体験・経験を積み上げて成長、完成に至っていくんですよ。
何のトラブルも体験のない子どもたちが、荒波にもまれたことのない子どもたちが、いつ智慧を使うチャンスが与えられましょう。
いつ力を発揮するその時が与えられましょう。
いつ愛という愛を体験するときが与えられましょう。
つまづき、転び、落ち込み、失敗・・・その中にA君たちや、今のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちは、そこを乗り越えていくには、そこを越えていくには、どう智慧を、どう力を、どう愛を使い活かせば越えられるんだろう…を学んでいるんですよ、日々。
そのチャンスをお父さん、お母さんの都合で全部取り上げてみてください。
何をもってして子どもたちは学び、成長することができるだろうか。
全部取り上げていますよ。
「あれしちゃダメ」「これしちゃダメ」。
己が苦しんだからこそ、相手の苦しみが分かち合うことができるんです。
己が痛みを体験したからこそ、相手に思いやり、いたわり、相手の看病ができるんです。
光話より抜粋
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賢い者は無駄なおしゃべりしないですよ。
集まって無駄なおしゃべりをするがゆえに、大きな間違いをおかすんですよ。
親戚でも友だちでも私を理解した者はいないですよ。私はここに至るまでは無口だったんですよ。
だから私が、「真実のキリスト、真実の神を実感され、それを全国・全世界に説いてほしい」って神に言われ、ある日、私が突然にこのように皆さんの前に立ちはじめたとき、誰も疑ったんですよ。
「あの者がしゃべるの?」って。「あの者が語れるの?」って。「あの、いつも角に無口で固まっていた者が…」って。
その時は、しっかりと自分自身を愛という愛で温めていたんですよ。無駄な言葉を使わずに。
皆さんはトコトコトコトコ走り回るがゆえにさまざまな思いをもつ。
本当に悟りに至りたい者は、絶対にそのような表現をしていませんよ。
これ私がさんざん見てきてわかります。ペラペラペラペラ、すぐあっち行ったりこっち行ったりしてしゃべる者に悟りなんて一人も出ません。
なぜ、しっかり自分自身を愛で温め、成長しようという思いがある者がいるだろうか?
あっちに行っては、あの者の悪口、罵り、怒り、非難、あるいは裁き・・・これで悟り?
笑われますよ。
どれほど厳しい状況を乗り越えてきたか。
皆さんは裁いていないようで、毎日のように裁いていますよ。
その状態で無駄なお金を浪費する必要ないですよ・・・高速代を、あるいはガソリン代を、飛行機代を、無駄な出費ですよ。
今生は内にこもってしっかり自分自身をみつめて、しっかりと自分自身の改善に努めていたほうがいい。
あそこにグループをつくり、ここにグループをつくり交わって、で、悪口や非難や批判や噂話や・・・あるいは最後には裁いて。
いつぞや私は何と説いたんだろう?
「裁いた瞬間、何百という何千というカルマを上乗せしている」と言いましたよ。これからの波動は、皆さんの思っているとおりの波動ではないですよ。
「1」が何百、何千、何万と膨れ上がりますよ。
光話より抜粋
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私がたとえば朝ですよ。まあ私も磨き上げていく途中ですよ。たとえですよ、たとえ・・・朝に家内への正しい思いがずれたとき、正しい言葉遣いがずれていたとする。で、その表現がずれていたとする。
思い、我々の行為は三行為ですから、言葉が、あるいは思いが、あるいはその表現・行為がどこかずれていたとき、私、一日中気持ち良くいれたことないですよ。気持ち悪いんですよ。気分悪いんですよ。
それを完璧に修正するまでは、その嫌な気持ち続きましたよ。
しかし皆さんは分離感で、あの人に怒り、嫉妬、あるいはうらみ、罵り、裁いたりしたって、皆さんはなぜ心地良くいれるの?
汚れの中にいるからですよ。
汚れの中にいる者は、汚れが気持ち良いんですよ。
しかし皆さんが少しでも磨き上げていく努力をしたときは、一点の汚れに皆さんは気持ち良くはいられないですよ。完璧にそれを正すまで。修正するまで。
これ私は何十年の体験でこれを味わってきているんです。だからはっきりわかるんです。
皆さんが相手を不愉快な思いをさせて、傷つけて苦しめても、なぜ平気でいられるのか?
汚れの中にいるからですよ。汚れの中に。
輝いてみてください。一点の汚れも入り込んだら、もう良い気持ちでいられないですよ。一日中良い気持でいられないですよ。修正できるまでは。
そこまで皆さんがきたときは、完璧に己を磨き上げぬかぎり、もう良い気持ではいられないですよ。
これを“己に厳しく”というんですよ。
己に厳しく、まわりに他に寛容な心であるべきなのが、あるいは優しく、いたわり、思いやりであるべきなのが、今までの我々の生き方は、己に優しく、己に寛容な心、他に厳しくだったんですよ。
己の心の畑は雑草が・・・もう心のトゲですよ。
光話より抜粋
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なぜ神は、間(ま)をおいて、この地球というここに間(ま)をおいて、浄化のエネルギーを注いでくださるんだろう?
間隔をおいていることは、神の慈悲なんですよ。
皆さんがこれほどのエネルギーに耐えられる体になってほしいということで、ここに間(あいだ)をおかれているんですよ。間(ま)がおかれているんですよ。
これは皆さん、真剣に受け止めてくださいよ。
たとえば私が立てぬほどのこのエネルギーが注がれました。間をおいて何回か注がれてくるでしょう。この状態で、あと何回目ぐらいかわかりませんけど、この地球を焼き尽くすほどの、皆さんが想像もできぬほどのエネルギーが注がれますよ。
無形無双・無色・無臭・無音というこのバイブレーション・波動には、色づけなければ皆さんに教え見せることができぬゆえに色づけてきます。
たとえばですよ、柔らかく注がれたときブルーであってみたり、グリーンであってみたり、あるいはほかの色であってみたり・・・皆さんが意識の目で観るか、あるいはこの肉の目で見るか。
最終的には真っ赤な色でこの地球を染めるでしょう。
じゃあ、いちばんの間違いは何なんだろう?
分離感ですよ。
私とあなた、あなた方とは違う。中国人と日本人は違う。女性と男性とは違う。
その分離感がいちばんいちばん己の、己自身の敵ですよ。
外に敵なんていないです。
常に皆さんが完全意識に留まっているならば、外に敵なんているだろうか?
外に悪なんてあるだろうか?
それをはっきり見出したのは、すべて敵も、闇も、悪も、わが内なる間違ったものであることを知ったんです。
外に敵なんていないですよ。
外に悪魔なんていないですよ。
外に闇なんてないですよ。
すべてわが内だったんですよ。
だから、それを省みることなく、なおも分離・差別で、うらみや怒りや嫉妬に燃え、ゆるせない、愛せない、憎い、嫌いで生きてみてください。その者から処理されていくだろう。
光話より抜粋
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●精子と卵子が結合した瞬間から、教育ははじまっています。もう結合した瞬間から、お父さん、お母さん、まわりの家族、あるいは地球、宇宙の波動、すべて感じ取っていますよ。ということは、お母さんが子どもを身ごもる子宮というのは、絶対愛でないといけないんです。怒りに燃えやすいお母さんであってみてください。何十兆、何百兆ある細胞、一個一個がすべてそれを記憶してますよ。(中略)
朝に昼に晩に、酒に溺れているお母さんの子宮から出てくる子は、生まれながらに酒を欲して出てきますよ。怒りに燃えるお母さんの子宮から出てくる子は、生まれながらに、怒りをもって出てきますよ。うらみもそのとおり。
●ある男性が、夢をみせられているんですね。黄金の宝物が埋まっている場所の。
(その宝を)「あなたに与えましょう」と。
この男性の住んでいる家の、ここには大きな大木があって、そこに宝物が埋まっているんです。(中略)
しかし、神は、その男性に「そこから何キロも離れた場所・・・川に橋が架けられている、ここに立っていれば良い話が聴けますよ」って、言われるんです。(中略)
神が手っ取り早く、「お前の木の下に黄金の宝が埋まっている」と言えば、無駄な時間は浪費してないですよ。簡単ですよ。
これは皆さんに何を教えているんだろう?
「宝物は努力なくしてつかめるものはない」ということを教えているんですよ。わざわざ遠回りさせられて。
●命、与えられた皆さん一人一人には、あなた方に代わって誰をもできぬ神の役割を背負って、今ここにいるんです。「私は無関係」「私は何の役割も背負って出てきていない」というならば、おかしいことですよ。みんなそれぞれに、あなた方以外には誰にも果たせないその役割を背負って出てきているんですよ。
私がこの研修センターの建物を観たのは物心ついた時です。じゃあ、私は神にその図面をみせられています。果たして私が、それをそこに完成させることができただろうか?
それは林社長という大事な役割を背負った方がいたればこそ、ここは完成しているんです。図面は観せられて、こういう建物が、どうしてもこれから私に必要としたって、林社長という林社長がそこに存在なかったならば、この建物は完成していませんよ。
同じ命を与えられても、役割が違います。表現の方法が違います。
だから教育だって、「親からそう教えられたからその通り」ということは、絶対にありえないんですよ。
●今のこの地球、この世界にですよ。本当の教育というものをなしえた先生なんて一人もいないです。ヨガナンダたちはそれができたんです。その者の転生が読めた。何百回、何千回、何万回の転生のなかで、どのような役割を背負って、どう生きてきたか、どういう性格をつくり上げてここにいるのか、全部、読めたんです。だから導くことができたんです。
【本文より】
今、人類はどこに偏り生きているんだろう?
たとえば、この現象という見える世界。で、物質そのもの…象徴で“陰”(−)とたとえます。この結果というものは陰。
で、原因的な面、この霊的な面を(陽で)プラス(+)。
じゃあ、なぜ今、地球上に天変地異・天候異変、さまざまな事件や事故が毎日のように皆さんがニュースで見ているとおり、なぜそのような現象があらわれるんだろう?
本来はプラス(+)とマイナス(-)の調和が当たり前なんです。
しかし、今の人間は、もう朝、目が覚めれば、目を開けば、もうすべて物質のことしか考えていないんですよ。金儲けとか。もう全部、陰に偏っているんです・・・肉体はじめ、見えるものに支配されている者。
人類はすべて陰に偏っていること。
で、これをプラス(+)、マイナス(-)が完璧な状態で戻しえないかぎり、地球は滅びますよ。これが幾転生という幾転生、あのアトランティスやさまざまなものが滅んだ姿なんです、この姿が。
だから、心を伴わない物質文明の栄えは世を滅ぼすというんです。
****
この現象の世界で皆さんに知ってほしい“愛”は、誰の自由意思もおかさぬことを、“愛”と理解してほしいと言われました。
なぜ私は、たとえば80億の人間が反対しようが否定しようが、なぜ私は、ここに歩もうとしているんだろう?
ここに歩んでこそ私の学び、成長があるからここによこされるんです。
それに、皆さんに引っ張られて、皆さんが私の自由意思をおかして、ここに引っ張るというならば、私は私にとっての必要な学びを見失いますよ。成長を妨げられますよ。
だから、決して自由意思をおかさぬ、裁かぬあなた方であることを伝えてほしいって、偉大な聖人(名もなき聖人)から言われました。
【本文より】
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なぜ輝かない?
なぜ輝こうとしない?
これ、皆さんに説いているんですよ。
なぜ輝かない?
なぜ成長しない?
誰でもない、これは皆さんの姿ですよ。泥沼に溺れている姿。皆さんをここから出せないんですよ。また飛び込んでくるんですよ。飛び込んで入っていくんですよ。
「これ、私ではない」と言うことそのものがおかしいことよ。
私、この実相の世界でこれを見れば、誰彼を私が手を差し伸べて引き上げたか全部わかりますよ。ただここで名前を言うと恥かかしちゃ困るから名前を出さないんであって。全部わかりますよ、見えますよ、誰だったということが。皆さんですよ。いい顔でここに座っているけど、それほど泥沼が好きなんですよ。磨こうともしない。輝こうともしない。成長しようともしない。思いたい放題、言いたい放題、やりたい放題で泥沼、まさに。
どうしてどうして、磨こうとしない者を引き出すことができるだろうか。
****
世界で顕現することにおいての最大の愛を、あのドームに連れて行ってくれた聖人に教えられました。
この現象の世界でもう皆さんが愛という愛ならば、誰をも裁かず、誰の自由意思もおかさぬこと、これが愛だと私は教えられてきました。
じゃあ、皆さんは散々カルマを背負いいこうとしているではないでしょうか。裁いたり、相手の自由意思をおかして。
我、何人も裁かず。
もし裁きたいなら己自身を裁いてほしい。己に厳しく他に寛容な心ですよ。
しかし皆さんは己に優しい、己に寛容な心、相手に厳しい。
「ああだこうだ」で。「ああでもない、こうでもない」で。
たとえば私に悪口で向ける方も、言いたいから言うんであって、その者はそれを通して、自分に跳ね返りを体験して成長していくんです、学んで。
なぜならば、己が出した思いは、言葉は、その表現は、絶対に行きっ放しってないですよ。地球は宇宙は丸いがゆえに必ず一周回れば己自身に跳ね返ってくるんです。
これが神として愛の法則なんですよ。
【本文より】
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今日の明想で観せられているかぎり、誰にも同じ24時間が与えられていますよ。
24時間、どれほど皆さんが内に意識を向け、どれほど成長しているんだろうと意識したときに、99%は自分を下げているんですよ。
なぜ神が観えないんだろう?
なぜ愛が感じられないんだろう?
それは、常に常に外、外、外、という無常なところに、外という結果に目を向け、思いを向け、そう生きているという証ですよ。
24時間、99%は己を成長させているどころか、落としているんですよ。
「ああでもない」「こうでもない」、取るに足らないもので論じ合って、意見言い合って。何の価値がありましょうか。
* * * * * * *
もし私が晶晶ちゃんと何かの意見で言い合いますよ。
私はそれを言い負かして勝ったと威張るけど、「勝ったと思ったら負けていることを知りなさい」と言いますよ。
なぜならば、その波動そのもので自分をどん底に落とし下げているがゆえに、誰彼と意見を言い合って、勝ち・負け、あるいは打ち勝つと言うよりも、その時間があるならば、己の内に潜んでいる一点の汚れ、一点の曇り、一点の歪みを修正できるあなた方であってほしいんです、逆に。
* * * * * * *
この前の研修センターで説いたそのタイトル、はっきり皆さん染めてくださいよ。
一つの名。一つの顔。一名一顔(いちめいいちがん)と私は説きましたよ。
この人の前に立つ顔、この人の前に立つ顔で、違ってはいけないんですよ。
無限の大愛の顔ならば、誰の前に立ったって、何十億の人間の前に立ったって「一顔」ですよ。
なぜ皆さんは顔色を変えるんだろう?なぜこの者の前に立って、あの者の前に立てば、またその顔のまたその表情そのものを変えるんだろう?
神の名は、何十億の前でも「神の名」ですよ。
愛の名は、何十億の前に立ったって「愛の名」ですよ。
今年の23年というこの年を、どれほどの方が、
一つの名をもってすべての前に立てるか。一つの顔をもってすべての前に立てるか。
楽しみに見ていますよ。
【本文より】
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皆さんは私に言われて落とし穴に落ちたと言うけど、そうある前に私は完璧に、常に一人一人にチャンスは与えているんですよ。そこにいくまでの修正することも・・・。
だから、すぐわかるんですよ。
光話を聴いて、それを身につけているか。身にしているか。己のものとして、とらえているか。すぐわかりますよ。
ただただは、私は光話、語っていませんよ。
そこにはさまざまな大事な大事な意味が含まれているんですよ。光話の中に。
* * * * * * * *
誰を変えよう、誰をどうしよう、こうしようではないんです。
いちばん大事なことは、今日も与えられた24時間という時間、何をしているのか?
誰が何をしているのか、ではないんです。
誰が何をやったではないんです。
己自身が何をしているか、なんです。
己自身がどう生きているか、なんです。
神として愛を、一瞬一瞬に顕現しているか。
磨き上げたときは、誰に聞くことなく、己自身に完璧に感じられます。
【本文より】
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(研修センターに)出入りするときは、“絶対愛”としてこの玄関を出て行ってほしい。で、また入るときも、絶対愛である我を実感してから、そこに一度立ち止まって、そう意識して入ってほしい、って宿題与えました。
何名がそれを守ってくれているんだろうか?
このような宿題もこなせずして、遠い遥か彼方に神をみつめても、愛を探そうって、どこに見出せましょうか?
あなた方の足元です。
* * * * *
明日でもない、昨日でもない。何年後でもない。
この一瞬、この瞬間を聖なる日、愛を尽くし生きるあなた方でありますように。2023年、謙虚で、素直に、すべてに感謝し、努力しただけ磨かれていく己を観ることができるでしょう。
偽我というこの肉の闇から脱出して、愛として、神として、光に目覚め、本当の「おめでとう」を共に交わし合えるあなた方でありますように。
2023年の一年ではないですよ。
この一瞬一瞬に愛を感じ取ってもらいたい。
愛を生きてもらいたい。
愛を思い、愛を語り、愛の表現、行為のできるわが子たちでありますように。
良き一瞬一瞬の聖日を生きられるあなた方でありますように。
2023年1月1日『肉体は愛の伝導体』より
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私の思考はすぐに「これはあの人が悪い」「あいつのせいだ」というふうに、すぐに「自分は正しい」という言い訳を物凄いスピードでつくり上げます。
「そういう自分のずるさというのをまず否定するのではなくて、そのまましっかり受け止めなさい」ということを、とにかく言われました。その自分の小ささとか汚さとか、怒りによって、自分がいろいろなことをごまかそうとしていたり、いろいろなことを自分に有利に進めようとしていたり、その傲慢さ、ずるさ、というものを、自分で受け入れる、認めるというのは、とっても最初は苦しいことでした。
「明日はない」「明日は死ぬかもしれない」という前提で、「今この感情が必要なのか?」って考えてみろと教わりました。
そして、これは今朝、お話してくださったことですけど、「本当に今日のこの一瞬一瞬、今日の一日を、最高な完璧に愛せる自分で過ごしなさい」というふうに言われました。
「自分の心の状態が、今どうなっているか、というのを常に把握しておきなさい」「常に自分の状態に気づいていなさい」というふうに言われます。
そのために、これは一つの方法ですけど、怒りとかイライラとか、そういう自分のクセが出たら、「そのつどメモする」というのを取り組んでおります。
車で走っていて、ちょっと角を曲がろうとしたときに、向こうから車が来て、イラッとしたりしたら、それをメモします。
そんなふうにして一日メモを取っていくと、本当に何てくだらないことで一日こんなんにもイラッとしているとか、こんなにも腹を立てているっていうことを、びっくりするほど、はっきり見返すことができます。
[本文より抜粋]
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